まず妙法蓮華経とは何か?ということです。朝晩行っている南無妙法蓮華経。宇宙の森羅万象の中に含まれて溶け込んでいるのです。
十界互具といって、あらゆるものは10の世界を持ってます。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人界・天界・声聞・縁覚・菩薩・仏。10の世界がどんな所にもあるわけです。太陽にも、月の中にも、星の中にも、一粒一粒落ちてくる雨の中にもあるわけです。石ころのなかにも。ネコでも犬でも持っている命の事なんです。極端にいえば、ノミでもシラミでも持っているのです。宇宙の中にあるのですから、当然私たちの中にもあるのです。妙法蓮華経と云う命がこの中にある。
しかし、あるだけでは何もならない、出して使わなければ。その使う方法として大聖人は、御本尊様を現した。「日蓮が魂を墨に染め流し」大聖人の魂を外に出して形にした。みんな持っているけれど形にできなかった。自分の中に溶け込んでいたから。
何が溶け込んでいるか?仏の働きです。形があるわけではない。だけど仏の働きがあるから仏性という。仏の根性、仏の性分。十界だから、怒る命もあります。怒る命が爆発すると「コンチクショウ」と言う(笑)お金が欲しい!とは餓鬼で、それは「貧乏性」。悩む命だってあります。悩む命が爆発したら飛び込み自殺もします。それを地獄というのです。欲しいって言う命が爆発したら、万引きでも泥棒でも強盗でもやるんです。怒りが爆発すると人殺しもするんです。クラクション鳴らしただけで人殺しした人がいる。些細な事で。反対に嬉しいっていう命もあります。爆発したら、身体全体が喜びです。その時はお赤飯を炊きます。もし南無妙法蓮華経が爆発したら何でも願いが叶います。しかし、この中にある南無妙法蓮華経は色も形もありません。でも確かに自分の中に抱きしめているんです。だけど抱きしめている事すらもわからない人がいる見えないから。
一番近い所にあって、見えない事を雖近而不見(すいごんにふぅけん)。聞いたことあるでしょ?
近しと雖も而も見えざらしむ。近くっても見えない、でもこの中にある。この中にある南無妙法蓮華経を外に出したのが、日蓮大聖人様だ。一人一人の命の中に、私と同じ命があるんだよって言うのが我復於彼中(がぶおひちゅう)。我も復 彼の中に於いて。
私はあなたの中にもいるんだよ。あなたの中の法を説くんだ、為説無上法(いせつむじょうほう)。でもあなたは外の御本尊様ばかり見ている。向こうの御本尊様から何か来ると思って信心していたら、それは乞食だよ。
御本尊様の功徳は、お薬あげようという功徳ではないんです。お金あげようという功徳ではないんです。
では何か?あなたの中の南無妙法蓮華経を出してあげるよっという功徳なんです。
生け花があります。生け花は口を利きませんが。そこにあると「あぁ綺麗だな」と感じるでしょ?外の花を中で楽しむ、これを花見という。外の富士山を中で楽しむ、これを観光旅行という。空の月を中で楽しむ、これを月見という。外のピアノを中で楽しむ、これを音楽という。外の御本尊を中に湧かして楽しむ、これを勤行という。あなたの中に働くのを内道って言うんです。外から何かもらえるのを外道って言うのです。キリスト教など、神様が別なところに居て助けてくれる。仏法は外に御本尊様があるけれど、それは仏縁で、あなたの中の南無妙法蓮華経を引っ張り出してあげるのだと言うのです。湧かしてあげるのだから、あなたの親だよ。「我亦為世父(がやくいせぶ)」。 湧かしてもらうあなたは子供だよ。「一切衆生わが子なり」。私は親だから他人じゃないよ。私の財産を全部あげましょう。御本尊の財産は「常楽我浄」です。常に楽しくって清らかなのです。常とは三世。過去・現在・未来。起きて良し、寝て良し、死んで良し。そういう命が潜っている。それを出すことを自体顕正と言うのです。それを出すために御本尊様を御まつりするわけです。仏の命は刀を振りかざしても首は切れない、外から不幸にできない強い命が中にあるということを大聖人御自身で証明した。それは南無妙法蓮華経というお曼荼羅だよ。日蓮の魂を出した、この御本尊と同じものがあなたの中にもある。でも凡夫だから出せない。出せる人は仏様だけれども、同じ仏でもお釈迦様では出せない。他の仏様では出せません。日蓮大聖人様ただ一人出せるのだから、御本仏というのです。だから、この南無妙法蓮華経を鏡にして、あなたのようにしてください!と心を声に顕わしてぶつかってきたら、あなたの中の南無妙法蓮華経を湧かしてあげましょう。湧かしたら、あなたも南無妙法蓮華経で私と同じだよ。私と同じ境涯にしてあげたいと言うのが御本尊なんですよ。祈れば自分の中の南無妙法蓮華経がズゥゥンと出てくるわけです。この中に潜っている溶け込んで見えないものを見えるところにズゥゥンと引っ張り出すのが信心なんです。それが頭の天辺、中まで届くと頭痛が止まります。目玉に届くと目が見えます鼓膜まで届くと耳が聞こえます。背骨までいくと、カリエスが治ります。血液の中まで入ると白血病が治ります。中にあるだけでは、無いのと同じです。電波があったって、何も聞こえてこないもの。ここにラジオとテレビを置いてスイッチ入れたら、いっぱい聞こえてくるニュースも聞こえてくる。色も形も見えてくる。山口百恵が歌を歌ってくるの見えてくるよ(笑)反対に電波は来てもラジオもテレビも無いなら電波は今、無いのと同じなのです。あってもスイッチ入れなきゃあ駄目です。宇宙の中にあるんですから電波は12チャンネル来ているんですから。御本尊様を顕わしたということは、テレビを発明したみたいなものです。久遠元初、大昔から電波はあるのです。南無妙法蓮華経も大昔からあるのです。だけど誰も南無妙法蓮華経を顕わしてくれなかったから、見えなかった。だから、大聖人様はありがたいのです。南無妙法蓮華経を形にした。御本尊のスイッチ入れてごらん。功徳がよく見えるよ。功徳が自分の体の中に見えるのです。中に湧くから、内道と言うのです。向こうから功徳が飛んでくるのではない。外から飛んで来れば、それは外道だ。胃がんで困っちゃった。南無妙法蓮華経と唱えてなぜ胃がんが治るのか?御本尊様が注射してくれたのか?そうではない。御本尊様が薬を飲ましてくれたのか?そうではない。御本尊様がお金くれたのか?そうではない。御本尊様は黙って見ているだけだから。ではどうして胃がんが治るのか?それは御本尊様と同じ南無妙法蓮華経が、こっちにあるからです。自分の中の南無妙法蓮華経と外の御本尊様と声でぶつかるわけです。どちらも南無妙法蓮華経だから感電する。それを感応妙という。同じものがあるから、どっちも感じるのです。南無妙法蓮華経と感電しちゃう。御本尊と同じになっちゃう。仏様と同じになるから蘇生するんです。