池田先生ご指導

仏法の世界は不思議なものです。本気になってぶつかれば、ちょうど鐘をうてば響くように、必ず、自分の生命に実感としてあらわれるものがあるのです。

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題目を唱えておかないと長い人生において非常に困ることになる。唱えられるときに唱えておくことだ。
たとえていえば唱題は貯金であり、充電である。人は死ぬまでさまざまな苦悩に直面するものだ。思ってもみなかったような問題に直面したときに、題目を唱えていた人と、唱えている人は変毒為薬し、唱えていない人は奈落に落ち込んでいく。どんなに頭がよくても、偉くなっても題目を唱えている人に比べればかなわない。題目を唱えていれば、ぜんぶ人生が開けていくのである。


仏法の世界は不思議なものです。本気になってぶつかれば、ちょうど鐘をうてば響くように、必ず、自分の生命に実感としてあらわれるものがあるのです。観念的な、責任のない、いいかげんな姿勢であれば、御本尊に響くものもそれだけであり、その人の生命、生活のうえにあらわれるものも、それだけにしかすぎません。


御本尊を無二に信受しきる人には、時間の隔たりをこえ、大聖人に直接、指導をうけて、人間革命、生活革命、さらには、広宣流布の活動に励むことができるという、歓喜の実感が湧いてくるのです。


私生活は乱れていて、何をやっているか見えない。いざという時にいなかったり、なかなか連絡が取れなかったり、必ず、そういう暗い陰がある。
ほとんど勤行もしない。折伏もしない。そこから魔に食い破られていくんです。
広布の世界では、「信・行・学」の地道な実践がない人間は、絶対に信用できません。