わが恩師・戸田城聖先生は、常々、私たち学会員に、「悩みがあるならば、折伏をするのだ!」「折伏の中で自身の宿命転換もできるのだ!」と教えられました。
折伏とは、相手を論破するとか、打ち負かすことではありません。誰もが仏性を具えた尊極の存在であり、その「自他共の」尊厳性に目覚めよという励ましであり、呼びかけです。不軽菩薩の振る舞いそのものです。それは、自身の「諦め」「無力感」などの無明の氷壁を破る戦いでもあります。
他者の誰かを折伏しつつも、実は、自分自身の無明、煩悩を折伏しているのです。だから、悩みに負けない、強い自分になれる。自身の境涯の変革も宿命転換も、断固と成し遂げていけるのです。
その意味で、折伏の本義とは、自身の《臆病や怠惰、迷いの心を折り伏す》ことであり、それが、自他共の《無明を折り伏す》ことになるとも言えるでしょう。
透徹した信心は現実的には広布の組織のなかで培う以外にない。
信心の組織から孤立した人は必ず慢心と停滞に落ち込んでいる。
よき先輩 またよき同志 よき善智識と 互いに磨きあってこそ
信仰の絶えざる成長がある。