池田先生ご指導

「さて、苦悩を背負ったまま亡くなった先祖は、どうしているかというと、既に生まれ、宿業に苦しんでいることもあれば、まだ生まれていない場合もあるでしょう。

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「さて、苦悩を背負ったまま亡くなった先祖は、どうしているかというと、既に生まれ、宿業に苦しんでいることもあれば、まだ生まれていない場合もあるでしょう。
あるいは人間に生まれているとは限りません。宿業のいかんによっては、畜生、つまり動物に生まれることもある。むしろ、人間に生まれることのほうがはるかに難しい。
しかし、先祖がなにに生まれ、どこにいて、いかに苦しんでいても生者が正しい信仰を持って、その成仏を願い、唱題していくならば、それが死者の生命に感応し、苦を抜き、楽を与えることができる。
南無妙法蓮華経は宇宙の根本法則であり、全宇宙に通じていくからです。

ましてや、畜生などに生まれれば、自分では題目を唱えることはできないわけですから、私たちの唱題だけが頼みの綱になります。また、先祖が人間として生まれて来ている場合には、私たちの送る題目によって先祖が誰かの折伏を受け、仏法に縁し、信心をするようになるのです。
したがって、先祖を供養するには、真剣に唱題するしかありません。
お金を出して、塔婆を何本たてれば成仏できるというものではない。もし、そうだとするなら、金の力で成仏することになってしまう。
一方、信心を全うし、成仏した人は、死んでもすぐに御本尊のもとに人間として生まれ、引き続き歓喜のなか、弘宣流布に生きることができる。
そして、先祖が成仏したか見極める手は、さきほども申し上げましたように、子孫である自分が、幸福になったかどうかです。それが、先祖の成仏の証明になります。