大切なことは、苦難ある時に絶対にひるまぬことである。仏の慈悲と確信して、いよいよ強盛な信心で進こむことである。信仰しているのになぜなどと弱々しく疑ったとしたら、その弱き一念が一念三千の法理に則り、三千次元に回転して、ますます苦しみの境涯をつくっていく。これでは強信とはいえない。
その時点で、凡夫にはわからなくても、長い目で見る時、必ずやその意義がわかってくる。また変毒為薬していける。
楽しそうに見える人も、陰では必死に努力し格闘しているのだ。
大智度論に「猪が金山を摺る」という比喩がある。
猪が光り輝く金山を憎み、自分の体をこすりつけ、その輝きをなくそうとするが、かえって金山の輝きは増していく、と。
心ちない批判や圧迫が、私たちの生命を磨き、輝かせてくれるのだ。
逆風を心地よいそよ風と受け止められる強き生命力で…。
宇宙にみなぎる、目に見えない妙法のリズムも、それを信じ、受けとめる人々の集いによって現実社会に鮮やかな働きを現すといえよう。
久遠の妙法を三大秘法に顕現された日蓮大聖人、本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える人々の存在が三大秘法完結の要因!
「進んでいない」ことは「止まっている」ことではない。「退いている」ことと同じなのである。
たとえば、高速で進む船から転落すれば、船から急速に遠ざかり、やがて溺れてしまう。学校でも何年たっても進級できなければ、それは「止まっている」というより「落第している」のであろう。