対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。あくまでもその目的は、その人が信心、勤行を深めていくための実践につながらなければならい。
たしかに「生命力」という表現は信心している私たちの間では実感としてよくわかる言葉です。朝夕、御本尊と対座して、朗々と勤行・唱題するとき、私たちの色心の奥底から、仏界即南無妙法蓮華経の大生命が涌現する、その瞬間の歓喜と爽快さは信心している者のみが味わうことのできる醍醐味であるといってよいでしょう。まさに「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せの通りの状態を味わうことができます。