池田先生ご指導

きょう11月11日は、文永元年(1264年)、大聖人が「小松原の法難」に遭われた日である。 740年前の、この日の夕刻。 安房の国、東条の郷の松原大路で、大聖人と10人ほどの弟子たちに対して、地頭の東条景信と、武装した暴徒たちが襲いかかった。

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きょう11月11日は、文永元年(1264年)、大聖人が「小松原の法難」に遭われた日である。
740年前の、この日の夕刻。
安房の国、東条の郷の松原大路で、大聖人と10人ほどの弟子たちに対して、地頭の東条景信と、武装した暴徒たちが襲いかかった。
その数は御書に「数百人」(1498ページ)と記されている。
「いるやはふるあめのごとし・うつたちはいなづまのごとし」(同ページ)という、すさまじい襲撃であった。
弟子の一人がその場で殺され、さらに二人が重傷を負った。
大聖人ご自身も斬りつけられ、「もはや、これまで」(同ページ、趣意)と仰せの状態であった。
左腕を骨折され、右の額に四寸の傷を負われたといわれている。
しかし大聖人は、法難のわずかーカ月後に、病気で苦しんでいる、南条時光の父を励ますために、長文の御手紙を送られたのである(南条兵衛七郎殿御書)。
同書のなかで大聖人は、この法難が、「猶多怨嫉 況滅度後」との法華経の経文に符合していることを示され、さらに、「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(御書1498ページ)と高らかに宣言された。
広宣流布の途上において罵詈・罵倒される人が、仏になれるのである。
広布の戦に徹し抜く人は、永遠に福徳豊かで、健康な、仏と同じ生命で生きていくことができる。そのための信仰である。
いかなる迫害も恐れず、生きて、生き抜くための信仰である。
リーダーである皆さんは、大勢の人を励ましながら、勇敢に広布の指揮を執って、最高の幸福の道を生き抜く人生であっていただきたい。