池田先生ご指導

よりたしかなる勤行・唱題に励みゆく理由は、かかる信心の境地を確立せんがためである。 この一生のなかにあって、常楽我浄・因果倶時の生命の当体を確立せんがためには、熱烈たる思いの信心が必要であると訴えたい。

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畢竟するに、信心の信心たるゆえんは「無疑日信」と大聖人は仰せである。
むしろ、苦難多きがゆえに、真剣な祈りと唱題がある。
そこに煩悩を即菩提へと開きゆく信心がある。
ゆえに、大聖人は「難来るを以て安楽と意得可きなり」(御書七五〇㌻)と仰せである。
よりたしかなる勤行・唱題に励みゆく理由は、かかる信心の境地を確立せんがためである。
この一生のなかにあって、常楽我浄・因果倶時の生命の当体を確立せんがためには、熱烈たる思いの信心が必要であると訴えたい。
そこにのみ、わが生命の奥底から、光射 たるみずみずしい確信が、つきることなく、涌き出ずるのである。