太陽は水素やヘリウムの原子が集合したガス体である。
その太陽の働きも、太陽をつくりあげているこれらの原子が、バラバラであれば強大な力は出ない。
いわば異体を同心とした凝結した力こそ、太陽のエネルギー源といえるかもしれない。
それを、低次元な、役職がどうとか、また怨嫉したり、感情的になったりして、自分自身の心の内に葛藤をもつのは、太陽がバラバラになって力が出ないようなものである。
その意味からも、広宣流布という目的に向かって、自分自身の信仰という異体を同心とした一念をよくよく深めていただきたい。
仏法は勝負である。
いかなる勝負においても、決して遠慮があってはならない。
また弱気があってはならない。
たとえば徒競走においても、遠慮があれば勝てない。
また、はじめから弱気であれば、決してさまざまな勝負に勝てるはずがない。
と同じように、信心の世界も遠慮や弱気の行動があってはならない。
仏法は勝負であり、また一切は凡夫にとっての試練ともいえる。
ゆえに、大御本尊への深き祈りが、どれほど強いかによって、すべてが決まることを銘記したい。