池田先生が中国への第一歩をしるしたのは、1974年5月。香港・羅湖駅から徒歩で国境をわたり、深圳の土を踏んだ▼そこで先生の一行を迎えたのは、中日友好協会などの3人の随行員。広州行きの列車を待っていた時、随行員の一人が日本語でおもむろに暗唱を始めた。「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換をも成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」。それは小説『人間革命』のテーマだった▼随行員は同書を読み込んでいた。「作者の私でも覚えていないんですよ」とユーモアで返す池田先生。両者の間には一気に友好のムードが広がり、広州へ向かう車中も語らいが弾んだ▼50年前の9月8日、先生は「日中国交正常化提言」を発表。当時の日本政府は依然、中国敵視政策をとっており、激しい非難や中傷にさらされた。だが、その9カ月後、先生は連載中の『人間革命』「戦争と講和」の章で「重ねて訴えておきたい」と改めて日中友好の重要性に言及。嵐にも揺るがない信念の言が日中に友好の「金の橋」を架けた▼『人間革命』『新・人間革命』は広布の歴史をつづり残しただけでなく、同時代に平和・文化・教育の光を送り続けた。その精神の光彩は、時とともに輝きを増すに違いない。(芯)