婦人は泣きながら御本尊の前に座った。認知症の母親を自宅で介護しているが、その言動にもう耐えきれない▼母が仏間に入ってきた。また悪口を言われるかもしれない。身構えた瞬間、母が隣に座り、合掌した。「悩みがあるなら、一緒に祈ろう」と。悩みの原因は……婦人は、喉まで出かかった言葉をのみ込み、共に唱題を始めた。次第に、親子して広布に歩んだ思い出がよみがえる。戦後の貧苦に耐えた強い母。悩める友に寄り添い、一緒に題目をあげた優しい母――。“母の信心は変わっていない”。婦人の目から、再び大粒の涙があふれた▼かつて取材した、ある広布草創の同志は、「御書も池田先生の指導も、『頭』や『心』より『命』に刻むんだ」と語っていた。「人の『心』は移ろいやすい。だから実践を通して、心よりもっと深い所にある『命』に刻むんだ。人間革命と宿命転換のために」と▼日蓮大聖人は「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(御書563ページ)と仰せである。釈尊が説いた膨大な経典も、全てわが身の生命について記した日記なのだ▼たとえ“記憶”が薄れても、生命の日記帳に刻まれた“記録”は三世永遠に消えない。今日という生命の貴重な一ページに、信心の金の思い出を刻みたい。(之)