名字の言

〈名字の言〉 2018年6月6日  病でわずかな余命を生きる母が、自分が亡き後の子に思いをはせる。

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 病でわずかな余命を生きる母が、自分が亡き後の子に思いをはせる。「部活に励んでいる息子の弁当がコンビニの弁当になっても/どうか一緒に楽しく食べてくれる仲間が、そばに居てくれますように」(『はがきの名文コンクール』NHK出版)▼本当は母である私が弁当を作ってあげたい。それがかなわないなら、せめて……という切なる願いだろう。いくつになっても、たとえ自分の命が尽きるとしても、わが子の行く末を案じるのが親心。その思いを受け止め、心の真ん中に置く人は、人生の正しい軌道から外れないものだ▼ある青年が就職のため、東京で暮らすことになった。母は幾度となく信心を勧めてきたが、それに反発したまま彼は家を出た。母は祈り続けた。“都会にはたくさんの学会員がいることでしょう。この先、息子が苦悩に直面した時、どうか折伏してくれる同志と出会えますように”と▼祈りは通じた。後年、彼は東京で入会。それから30年余りたった現在、故郷に戻った彼は圏長として活躍する▼創価の母たちが抱くわが子への思いは、母子の満足のためだけにとどまらない。他者に尽くし、社会に尽くす人材に育ってほしいという尊貴な願いである。全ての広布の母に感謝し、報恩の誓いを新たにしたい。(城)