名字の言

〈名字の言〉 2018年8月6日  猛暑のある日、広島平和記念公園を歩いた。爆心地近くに造られた池にハスの花々が咲き始めていた。

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猛暑のある日、広島平和記念公園を歩いた。爆心地近くに造られた池にハスの花々が咲き始めていた。その光景からは、73年前の惨状はとても想像できなかった▼1945年8月6日の午前8時15分。出勤中の父に、家事にいそしむ母に、遊びに興じる幼子に、3000度以上の熱線が降り注いだ。一発の原爆が肌を焦がし、家族の幸せを奪う。病院にも行けず、薬もない被爆者は、ハスの葉で傷口を覆い、やけどの痛みに耐えたという▼当時5歳だった婦人部員の家には、皮膚の焼けただれた人が次々とやって来ては、飲み水を求めた。婦人は幼いながらも、井戸水をコップにつぎ、手渡し続けた。「……かわいそうにのう」。祖母の悲痛な声が耳に残っている▼20歳で入会すると、荒廃した広島の街を広布に走った。「戦争ほど、残酷なものはない」――小説『人間革命』の冒頭に刻まれた師の思いを胸に、幼稚園教諭として生命の尊さを伝えてきた。被爆者の平均年齢が82歳を超えた今、「ヒロシマの願いを青年が継いでほしい」と語る▼25年前の8月6日、池田先生は小説『新・人間革命』の執筆を開始した。「平和ほど、尊きものはない」。この師の信念は未来を生きる青年たちに託される。地上から「悲惨の二字」を断じてなくすために。(糸)