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〈9・8「日中国交正常化提言」50周年記念特集〉㊦ 池田先生が10度の訪中で架けた日中友好の「金の橋」 2018年9月8日

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 池田先生が半世紀にわたり全精魂を注いで築いてきた日中友好の道には今、両国の後継の青年が陸続と続く。「日中国交正常化提言」50周年記念特集の下では、1974年(昭和49年)5月以来、10度の訪中で、信義と友誼の「金の橋」を架けてきた池田先生の足跡などを紹介する。(同特集の上は9月7日付の2・3面に掲載)

歴代の国家指導者・要人と会見 未来のために対話を

 池田先生は、平和と友好の未来のために、周恩来総理、鄧小平副総理、李先念国家主席、江沢民国家主席、李鵬総理、胡錦濤国家主席、温家宝総理など歴代の国家指導者と会見し、友誼を結んだ。また唐家璇氏(現・中日友好協会会長)、李克強・現総理はじめ要人との対話を重ねた。
本年5月、李克強総理は都内での歓迎レセプションで、先生の代理として出席した原田会長とあいさつを交わし、「33年前の池田先生との出会いを、よく覚えております」と述懐。その折に先生が贈った漢詩への返礼として後日、「金橋永固 風範長存」と認めた自筆の書を贈った。

池田先生ご夫妻が周恩来総理夫人の鄧穎超氏の自宅を訪問(1980年4月、北京・中南海で)。鄧氏との会見は8度。中国人民の母との友誼の光彩は、時を経るごとに輝きを増す

文化交流を促進 民衆同士の心を結ぶ

 1974年の初訪中の折、池田先生は文化交流の促進を誓った。
民音では、翌75年の「中国北京芸術団」の日本公演以来、「中国国家京劇院」「東方歌舞団」「中国雑技団」など40以上の中国の文化団体を招へい。公演回数は、2100回を超える。
東京富士美術館は、北京での「西洋絵画名作展」、日本での「中国敦煌展」などを開催してきた。
今も絶え間なく続く民衆と民衆の心を結ぶ文化交流は、両国の友好を永遠たらしめる大道となっている。

教育・学術に貢献 信義・友情の道を開く

 池田先生は訪中のたびに、北京大学などを訪問し、教育・学術交流によって信義と友情の道を開いてきた。
同大学をはじめ復旦大学、中国社会科学院、深圳大学で講演。また先生は、国交正常化後初となる国費留学生を創価大学で受け入れた。以来、創大では留学生の往来や訪中団の派遣など学生交流が続く。さらに東西の創価小学校と北京第一実験小学校は毎年、交流絵画展を開催。東洋哲学研究所では、中国の学術団体と共催して、展示会や講演会などを実施している。

次代を担う連帯を構築 青年こそ人類の希望

 全青連と学会青年部が「交流議定書」を調印したのは1985年3月だった。
この時、地方指導の予定を変更して帰京した池田先生は、来日した中国青年代表団の胡錦濤団長(前国家主席)、李克強副団長(現総理)を迎えた。
以来、両国関係が、順風の時も、逆風の時も、全青連と学会の青年たちが往来し、友誼の絆を強めてきた。
先生は一貫して“青年が続く限り、人類は永遠に希望がある”との信念で、次代を担う青年の連帯の構築に尽力してきたのである。

池田先生の訪中の足跡

●第1次 1974年5月30日~6月15日
当時は中国への直行便がなく、イギリス領だった香港の羅湖駅から徒歩で鉄橋を渡り、深圳に第一歩をしるす。北京で中日友好協会の廖承志会長らの出迎えを受けた。北京大学などを訪問した後、人民大会堂で李先念副総理と会見(通訳は後に外相などを歴任する唐家璇氏)。訪問中、西安、上海、杭州、広州などで人民の生活の場に足を運び、友好の絆を結んだ。

●第2次 1974年12月2日~6日
北京大学で図書贈呈式に出席。また、同年9月にソ連を訪れた際、コスイギン首相と会見したことを受け、鄧小平副総理と会談し、日中の永続的な友好への展望を語るとともに、ソ連に中国との関係改善を望む意向があることを伝えた。さらに、北京の305病院で周恩来総理と会見。周総理は、池田先生が中日両国人民の友好関係の発展が何よりも必要と訴えていることを評価し、両国の平和友好条約の早期締結を望んだ。

●第3次 1975年4月14日~22日
北京で鄧小平副総理と再会。中国に亡命中だったカンボジアのシアヌーク殿下と同市内で会見した。訪問中、北京大学、武漢大学、復旦大学を訪れ、学生らと交流した。

●第4次 1978年9月11日~20日
上海の復旦大学で図書贈呈式に出席。蘇州、無錫、南京などを訪れた後、北京へ。周恩来総理夫人の鄧穎超氏らと会見。鄧氏は“明年の春に日本を訪れたい”と語った。北京大学を訪問。また、李先念党副主席と2度目の会見を行った。

●第5次 1980年4月21日~29日
鄧穎超氏の招きで、北京・中南海の自宅「西花庁」を初訪問。周恩来総理の思い出や、鄧氏が訪日した際の様子などを語り合った。北京大学で「新たな民衆像を求めて」と題して講演。また、華国鋒党主席と会見し、“新しい世代と教育”などについて意見を交わした。敦煌文物研究所の常書鴻所長・李承仙夫人、現代中国文学の母・謝冰心氏、現代中国の文壇を代表する巴金氏らと友好を深めた。

●第6次 1984年6月4日~10日
北京で鄧穎超氏らと会見。席上、中日友好協会の王震名誉会長から北京民族文化宮図書館所蔵の梵文法華経写本の写真版が贈られる。また、北京大学「名誉教授」称号、復旦大学「名誉教授」称号の授与式に出席し、それぞれ「平和への王道」、「人間こそ歴史創出の主役」と題して講演した。胡耀邦総書記(83年11月、日本で初会見)と再会し、世界平和に必要な条件など多岐にわたり語らった。また、敦煌文物研究所の段文傑所長らと懇談した。

●第7次 1990年5月27日~6月1日
創価学会友好交流代表団と共に訪中。北京大学の「教育貢献賞」を受賞し、「教育の道 文化の橋」と題して講演した。鄧穎超氏の自宅を表敬。周恩来総理が愛用した象牙のペーパーナイフと鄧氏愛用の玉製の筆立てが友誼の証しとして贈られた。「池田大作写真展――自然と平和との対話」北京展の開幕式に出席。また、李鵬総理(89年4月、日本で初会見)と再会。江沢民総書記と共に同写真展を鑑賞後、未来を担う青年へのメッセージなどを巡って語り合った。さらに、東方歌舞団の特別公演を鑑賞。このほか、中日友好協会の孫平化会長らと旧交を温めた。

●第8次 1992年10月12日~17日
北京で李鵬総理と3度目の会見。また、中国社会科学院の「名誉研究教授」称号の授与式で「21世紀と東アジア文明」と題し講演。さらに、中国美術館での東京富士美術館所蔵「西洋絵画名作展」の開幕式に出席した。中国・文化部から第1号の「文化交流貢献賞」、敦煌研究院から「名誉研究員」称号が授与。政府の要人らと会談した。同時期に創価学会友好交流団も訪中した。

●第9次 1994年1月30日~2月1日
深圳を訪問。深圳大学で「『人間主義』の限りなき地平」と題して記念講演した。

●第10次 1997年5月10日~15日
上海を訪問。上海大学で「名誉教授」称号の授与式に出席した。上海市庁舎などを訪れた。