名字の言

〈名字の言〉 2018年5月23日  将棋棋士・大山康晴氏は50歳で挫折を知った。

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将棋棋士・大山康晴氏は50歳で挫折を知った。18期保持した名人位を二回り年下の若手に奪われる。さらに十段戦、王将戦などで敗れ、ついに無冠に。マスコミは「大山時代去る」と書き立て、呼称は“名人”から“大山さん”になった▼しかし氏は諦めていなかった。「五十歳の新人に候」と、再び立ち上がった。名人から陥落した年は58局、翌年は64局と自己最多の対局数を記録しつつ、上座に座る年下棋士に挑み続けた。その中で「受けの大山」といわれた指し方に積極性が加わり、通算優勝124回を数えた(『大山康晴――人生に勝つ』日本図書センター)▼学会活動に消極的だった岡山の壮年部員。彼の勤務していた会社が倒産した。職を探すが求人は若者ばかり。思い悩んだ日々を経て、30年ぶりに座談会へ。温かな励ましの中、信心で再起しようと腹を決めた▼勤行・唱題を地道に実践し、幹部に指導を求めた。縁する人々に、自身の失敗を赤裸々に語りながら対話すると、おいが入会。壮年の背中を見ていた娘も弘教を実らせた。新たに起こした鉄骨設計会社には今、発注が相次ぐ▼池田先生は「見栄や虚栄などをかなぐり捨てた人間ほど、強いものはない」と。自分を信じ、人生の勝利を諦めない。その最強のエンジンこそ信心である。(子)