児童文学者・吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』(岩波文庫)のブームが再燃している▼主人公の少年コペル君には、何でも教えてくれる博識な叔父さんがいる。その叔父さんが、一つだけ「答え」を示さなかった問いがある。「(君は)ある大きなものを、日々生み出している」「それは、いったい、なんだろう」▼コペル君は、友人関係の悩みや自分の弱さと向き合う中で考え抜き、結論を見いだす。僕が“いい人間”になれば、いい人間を一人生み出すことになる。それ以上のものを生み出す人間にだって、なれるんだ――と▼現代では、答えの用意された問題を、素早く正確に解く力に、かつてほどの価値はないだろう。インターネットで検索すれば、すぐに答えは出るのだから。必要なのは「答える力」以上に「問い続ける力」。人生に関わる「大いなる問い」であるほど、簡単に答えは出せないし、“正解”も一つではない▼問いとは、鐘を突くようなものだと、中国の古典『礼記』にある。「之を叩くに小なる者を以てすれば則ち小さく鳴り、之を叩くに大なる者を以てすれば則ち大きく鳴る」と。「何のため」という問いを手放さない人でありたい。そのための信仰である。「大いなる問い」は、「大いなる人生」をつくる。(之)