名字の言

〈名字の言〉 2018年11月11日  座談会の未来部コーナーで少女部員が皆に尋ねた。「人間の『心』はどこにあるでしょう? 手で指してください」

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座談会の未来部コーナーで少女部員が皆に尋ねた。「人間の『心』はどこにあるでしょう? 手で指してください」▼「やっぱり、ここじゃない?」と、胸の辺りに手を当てる婦人。「でも、いろんなことを考える部分はここだよなあ」と、頭に手を乗せる壮年。少女はいたずらっぽい笑顔で、両手を目いっぱい広げてみせた。「心はどこまでも大きくなるから、この地球全体にあります!」▼心の在りかについて哲学者アリストテレスは「心臓」に、医術の祖ヒポクラテスは「脳」にあるとし、古代中国の人々は「内臓」にあると考えた。なるほど、ワクワクすれば「胸」が弾み、悩んでいると「頭」が痛い。納得すれば「腑」に落ちる▼日蓮大聖人は、心は「有ると言おうとすると色も形も無い。無いと言おうとすると、さまざまに(思いが)起こってくる」(御書384ページ、通解)と仰せだ。不思議な心の在り方を「妙」と名付け、この「妙なる心」を名付けて「法」ともいう、と▼仏法では、心は宇宙大に広がり、また宇宙の全てがわが一念に納まると説く。今月の座談会拝読御書には「心の財第一なり」(1173ページ)とあった。「心の財」は目には見えないが、時空を超えてわが身を飾る。広布に生き抜く人は、この無上の宝を積みゆくことができる。(之)