本日の御書

本日の御書 八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり(御義口伝巻下p775 n1078)

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【御書本文】
八万四千とは我等が八万四千の塵労なり南無妙法蓮華経と唱え奉る処にて八万四千の法門と顕るるなり(御義口伝巻下p775 n1078)

【通解】
八万四千とは、われらの凡夫の八万四千の塵労であり、南無妙法蓮華経と唱えたとき、その八万四千の塵労は則八万四千の法門とあらわれる。法華経の文字の数は、開経の無量義経、結経の観音賢菩薩行法経も合わせ、八万四千字である。

【先生の指導から】
日蓮大聖人は御義口伝で、仏法の生命論の立場から、この「八万四千」とは、要するに「八万四千の塵労」であると教えておられる。
人生には、無数の、きりのない苦労がある。しかし、妙法を唱え、人々のため、広宣流布のために力を尽くしていけば、それがすべて無量無辺の智慧と功徳として輝きわたる。これが、仏法の重大な因果の理法である。
法華経に説かれる仏菩薩は、単に経典のなかの存在ではない。像にして拝んだりするようなものでもない。
仏菩薩とは、人間である。なかんずく、広宣流布のために戦う皆さまのことである。
広宣流布の活動は、法のため、友のため、社会のために、来る日も来る日も、苦労の連続であるかもしれない。しかし、それらは全部、偉大なる福徳に変わっていく。少しも無駄はないのであ