聖教ニュース

本尊を信じ、自身の生命から仏界を引き出す実践が必要なのである。 自らの実践としてはじめて大聖人の教え、仏法を理解し究めることができる。

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勝つことへの執着心の違いにある。
少しでも前へ進もうという執念の強さが勝率の差になって表れる。
自分自身に妥協しない。


愚痴や弱音は一時の慰め、言い訳にはなっても、人生に何の価値ももたらさない。
かえって自身が卑しく、惨めになり、いつか顔にも出てくるようになる。同情をこうつもりはなくても、周囲に不快感を与えてしまう。
ハラを決めた人は強い。動じない。その人には文句もない。愚痴もない。後悔もない。停滞もない。


本尊を信じ、自身の生命から仏界を引き出す実践が必要なのである。
自らの実践としてはじめて大聖人の教え、仏法を理解し究めることができる。さらにいえば、理性や意識だけでなく、その奥底の無意識の世界をも含めた自身の生命の全体を照らして、何物にも崩されない絶対的な幸せを確率するために、この正しい本尊を根本として信仰することが必要なのです。