若き池田先生が編集長を務めた雑誌「冒険少年」「少年日本」
1949年(昭和24年)の1月3日、池田先生は恩師・戸田先生が経営する日本正学館に初出勤。夜学に通いながら、主に雑誌編集の業務に携わり、「冒険少年」(後に「少年日本」と改題)の編集長として奮闘した。
同誌は不況のあおりを受けて、同年12月で廃刊となるが、“この雑誌を、日本一にしたい”“子どもたちに偉大なる夢を贈りたい”との、21歳の若き編集長の情熱に打たれて、山岡荘八氏など一流の作家らが執筆。漫画家・手塚治虫氏も後年、“ぜひ描きたいと思った”と語ったという。
池田先生は当時を振り返りつつ、未来部への万感の思いを、こうつづっている。
「『未来に伸びゆく少年』の快活な姿を思い描きながら、私は日記に書いた。
『未来の、次代の、社会の建設者なれば、日本の宝と思わねばならぬ』
この熱い思いは、今もって変わらない」
師と同じ思いに立ち、“創価後継の宝”へ、最大のエールを送りたい。
【案内】開館時間は午前10時~午後5時(同4時半に受け付け終了)。6月の休館日は25日(月)です。