


〈名字の言〉 2018年11月23日 友人が中学時代の思い出を語った。彼の学校の吹奏楽部は相当な実力があって、ある日、学校行事でその演奏を聴く機会があったそうだ。

一次元からみれば、この大法を受持した以上、もはや罪障も罪障でない。 すべて仏界の大境涯を開きゆく重要なカギとなる。

ところが、宝くじで一回でも一等が当たれば大喜びするのに、人間として生まれてきて信心ができた素晴らしさがなかなかわからないで、退転していく人もいます。残念極まりないことです。

声を出して呼ばなくても、徳のある人の周囲には自然と人が慕いよってくる。 たとえ役職があり、立場が与えられていても、信用がなく、信頼の薄い人のもとに人はついていかない。それに引き換え、役職、立場がたとえなくとも、一人の人間として人望があり、信頼の厚い人の周りには、おのずと人々は慕いよってくるものである。

〈寸鉄〉 2018年11月23日 「ちかいし願やぶるべからず」御書。

一念の変革が、まず、我が生命を変えていく。健康で、力強く、無限の知恵を発揮していく。その変革された生命は、周囲の人々をも幸福の方向へと導いていく。

勤行や活動も、具合の悪い時は、やらないことです。「信心は義務ではない。幸福への権利」と指導されているように、「やらなければならない」と思ってやると「義務」になり、重荷になり、苦しくなるからです。

「心」は見えない。しかし、「一念」は全世界、全宇宙に通じている。「一念」が豊かであれば、自身も、周囲も、国土も、すべて豊かになっていく。
