


自分の慢心に打ち勝った人のみが、人生の凱歌の記録を残すことができるのである。

個人の人間革命においても、自分の成長を止めている一凶がある。 自分は欠点だらけだと思う人がいるかもしれませんが、多くの場合、それらも一凶から派生した欠点なのです。 例えば憶病、例えば粗雑、例えば感傷、例えば短気、そういう自分自身の一凶を自覚して、唱題また唱題し、行動、行動をする。それが人間革命の修行です。

苦しい試練も、大成長への時と定めれば、勇気が湧く。本来持っている仏の力を確信すれば、不安は消え去る。

信心を仮にイコールで結ぶとすれば、それは広布への責任ということです。 本当の信心とは責任を自覚してるかどうかで決まるのです。

すっきりと、勇んで行動する信心が、功徳をわかせる。 臆病や、怨嫉、文句、策の信心では、諸天も動かない。

人生の戦いも、広布の活動もすべては強き一念によって決まる。 敗北の原因も、障害や状況の厳しさにあるのではない。 自己自身の一念の後退、挫折にこそある。

「題目の力は偉大である。苦しい業を感ずる生命が、あたかも美しい花園に遊ぶがごとき、安らかな夢のごとき状態に変化するのである」

日蓮大聖人門下の、南無妙法蓮華経と唱え奉る者はこれ以上はないという宝の集まりを求めることなく、自ずから得た長者なのである。 ゆえに、この大法を持った皆さま方は、すでにどんな大富豪よりも豊かな「生命の大長者」なのである。
