


ベテランでも、こちらに生命の躍動がないと、相手に生命の波動を与えられない。話しは立派でも、ドンと相手の生命を打って「そうだ」という共鳴を呼ばないと指導は通じない。

自己の使命に生きながら、南無妙法蓮華経を自らも唱え、他にもすすめ、修行しきっていった時には、自身の生命の「我」は妙法に染め抜かれて、三世永遠に大宇宙の「仏界」と一体になっていく。

葛藤の連続だった。今まで支えてくれた人たちの顔が頭に浮かぶ。御本尊に向かうも、情けなさと悔しさが心を締め付け、祈ることも苦しかった。

一念三千ですから、悲観的な考えや一念は、その通りに現実のうえに展開して、実際にマイナスの結果を引き寄せてしまう。 マイナス思考の人は、自分が考えた通りに結果を自分で生み出しているとさえ言えるでしょう。

一応、組織上には上下という姿はあるが、所詮、信心の位が根本である。信心が厚く、正しい信心の指導ができる人が、御本尊の称賛をうけることを忘れてはならない。

生命の世界においてはその瞬間に因果が刻まれている。 そして時とともにそれがはっきり表れてくる。 り、その打開に厳として立ち上がる実践の人にこそ勝利の栄冠が輝く。

〈友のもとへ 池田先生の激励行〉10 2018年11月23日 反転攻勢の四国指導 広布史に 輝くロマンの 詩国あり

ある婦人曰く。「なぜ壮年は、なかなかやる気を出さないのですか」。 やる気はある。それを表現しないだけである。「忠臣蔵」の討ち入りのごとく、最後に皆をあっと言わせようと思っているからだ。
