


本日の御書 日蓮が弟子檀那等正直捨方便不受余経一偈と無二に信ずる故によつて此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなりたのもしたのもし(日女御前御返事p1244)

五座三座の勤行は、信心修行の根本である。真面目に実践している人は、強い生命力にあふれ、リズム正しい生活を確立し、立派な社会人として成長していっている。

だれが聞いても好感をうけるような勤行が本当です。どら声を張り上げたり、居眠りしながら勤行したり、牛の歩みのようにのろのろしたのもよくないが、むやみに早く、なにをいっているのかわからないくらいの超スピードで、まるで急行列車みたいにやるのもいけません。また、消え入るような声の弱々しい勤行もよくない。

真実の幸福は、汝自身の生命を開拓しながら、未完成の生命奥の魂に輝く、南無妙法蓮華経という、永遠不滅の絶対的幸福の血脈に触れることである。これが、仏法の真髄だ。

御本尊は、生命のあらゆる原理を体系化し、縮図化して、一幅の曼陀羅にあらわされているのであります。

英知を磨くというのも、また福運を輝かせていくのも、さらには人間革命という実践の本義においても、自己自身の生命の浄化を抜きにしては、砂上の楼閣にすぎない。

組織を強くするといっても。実践的には一人一人の信心を強くする以外にはない。 そのためには一人の友に希望を与え、信心の歓喜を味あわせてあげることである

たとえ無量の財宝を贈っても、その人を永遠に幸福にすることはできない。それができるのが折伏である。 それをしてきたのが学会員である。
