


一言の妙法 大聖人の仏法はご承知のとおり「南無妙法蓮華経」の一言であります。

したがって、仏法の話しをするときの私たちの生命がいかなる境涯にあるか、ということが、その際、たいへん大切な要素になってくる。

組織が秩序だってくると、どうしても幹部の惰性がはじまる。しかし自分では気がつかない。相変わらず結構やっていると思っている。

「本当にすごい仏法だ」と感じれば、祈りに感謝が生まれます。 「叶わないわけがない」と腹が決まれば、祈りは歓喜に包まれます。

本尊に対する「信」の強弱によって、その行動の強弱が決定され、その行動の強弱に応じて功徳は顕れ、幸福な人生を満喫できるかどうかが決まる。

「信心の素晴らしさ、 御本尊の偉大な功徳も教えないで、 いくら号令しても人が動くはずがない」

御本尊への祈りこそ、信心の根本である。それを人びとに教えるための組織であり、学会活動である。

表面的に見た場合、あるいは功徳を受けていないように考える人もいるかもしれません。しかし、忘れてはなりません。生命の深層においては、すでに功徳の潮流のうねりが始まっていることを。
