


他人の幸福のために、自分を捧げていく。自由意志で「菩薩の戦い」に打って出る。その時、我が生命に「不死」の大生命力が湧現してくる。仏の「永遠の精鋭」が満ち潮のように、生命を浸してくる。生活だって、よくならないはずがない。

病気になることは、決して敗北ではない。信心が弱いからでもない。広宣流布に生き抜く中で起きた病気という苦難は、成仏を阻もうとする魔の働きである。ゆえに怯んではならない。

ある到達点まで来ると一気に全部が変わる。 生命にはこういう法則があるかもしれない。

ただ、日々欠かさず勤行し、唱題を続けていくことによって生命の奥底に仏界の生命が確個として樹立されていく。

生き抜いていく一瞬一瞬に、生命の奥底からわき出てくる歓喜、充実感こそ、 幸福の実体なのではないかと考える。

諸仏が長い時間をかけて、何度も生まれ変わって修行して得た功徳を、私達は瞬時にしてあますことなく得ることができる。

われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。すなわち御仏壇にある御本尊即私達と信じるところに、この信心の奥底があります

いかに策を用い、力を尽くそうとも、妙法を唱えることをしなければ、生命の本源を侵してくる魔の力を撃退することはできませんし、題目が不足していれば、一切は空転してしまいます。いたずらに気が焦るだけで、思うように事は運びません。
