他人の幸福のために、自分を捧げていく。自由意志で「菩薩の戦い」に打って出る。その時、我が生命に「不死」の大生命力が湧現してくる。仏の「永遠の精鋭」が満ち潮のように、生命を浸してくる。生活だって、よくならないはずがない。
その意味で、弘教できることが、広宣流布に働けること自体が、最高の「功徳」なのです。
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広布に生きる喜びにまさる功徳はありません。弘教以上の歓喜はない。自分の対話をきっかけとして、他人がどんどん幸せになっていく姿を見る。これ以上の喜びはありません。そして、人の幸福を喜べば、ますます自身の生命が浄化されていく。
ゆえに折伏は傲慢ではなく、人間として生まれて、ひとことでも法を説ける喜びに燃え、て行じていくことです。そして、大切なことは、折伏したときに、相手が聞くか聞かないかは別問題だというのです。