


「勤行・唱題を終わって生活の中に戻れば、生命は九界にもどるのであります。その意味での成仏とは、題目を唱えている刹那(瞬間)のことである。ただ、日々欠かさず勤行し、唱題を続けていくことによって、生命の奥底に仏界の生命がしっかり樹立されていくのです。

広げていえば、自分が誠実そのものの心で人に接していくとき、多くの場合、相手もまた、

なかには、自分の病気に気が付いていない人もいる。医学でも問診というけれど、対話をしていくなかで、相手のどこに魔が巣くっているのかを見抜いていくことが大切だ。何が、その人の成長を、幸福を妨げているのか、こちらも理解し、相手にもわからせてあげないといけない。

戸田先生は、御本尊を拝んで大歓喜がわかなくては真の信仰とはいえない、とまで言われました。歓喜があれば功徳の大輪は、ますます大きくなる。

「必ず叶います」それほど凄い御本尊様なのです。自分の叶い方でどんな事でも叶わない事などないのです。願いが叶わないのは願っている事が希望になってしまっているからです。家の中でも家族の人達と決して喧嘩してはいけません。

…対話も、結論するに、御本尊への勤行・唱題に導くことにある。いくら明快な理論で論じても、また相手が納得したからといっても、それだけでは意味がない。

学会の組織についていろいろ問題があるというけれども根本の一切の原因は勤行そのものである。本当に勤行をし、実践した人は学会を築いてきた人達の悩みと苦しみは自然にわかってくるものだ。

「信心で勝つ」という真の団結は、単なる「足し算」ではありません。何倍、何十倍という、想像を超えた勢いを生む「掛け算」となります。
