全ての現象は心の表れ、と。ゆえに心が変われば一切が変わる。「信心で勝つ」と決めた瞬間から、人生の逆転劇の幕は開いた。
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「信心で勝つ」という真の団結は、単なる「足し算」ではありません。何倍、何十倍という、想像を超えた勢いを生む「掛け算」となります。
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「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ」(御書1220ページ)を拝し、断固勝つとの一念が強いほど、諸天はいよいよ勢いを増すと強調。題目の大音声を轟かせながら、“最後は信心しきったものが、正しい仏法が必ず勝つ”との強き信念で走り抜こう。
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「一念の力は無限だ! 一念の力は偉大だ! 『断じて勝つ』。この執念が強いほうが勝つ。心で勝ったものが勝つ。信心の王者こそ、絶対不敗の勝利者なのである」
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勤行のなかに自分自身の生命、信心の実相が、きちんとあらわれているものだ。前進している信心、生き生きとした勤行の実践があれば、生命は躍動し、宇宙のリズムと見事に調和してくる。生命力が弱まったり、信心が行き詰まっているときは、勤行ができなかったり、勤行していても、なにかおかしいなと感じさせるものがある。
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確信ある信心は、勤行の声の響きや、歯切れのよい口調にあらわれてくる。声が極端に大きかったり、その反対に、小さすぎたり、言葉がはっきりしなかったりするのも、その人の信心のあらわれである。
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…たしかに「生命力」という表現は信心している私たちの間では実感としてよくわかる言葉です。朝夕、御本尊と対座して、朗々と勤行・唱題するとき、私たちの色心の奥底から、仏界即南無妙法蓮華経の大生命が涌現する、その瞬間の歓喜と爽快さは信心している者のみが味わうことのできる醍醐味であるといってよいでしょう。まさに「南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」と仰せの通りの状態を味わうことができます。
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