池田先生ご指導

南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、

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池田先生ご指導、その他学会書籍より「願いについて」
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災いも転じて幸福としていくことができるのである。心して信心を出して、この御本尊に祈念していきなさい。どんな願いも成就しないことはないのである。
御本尊を信じ唱題し抜いた人は、必ず願いを成就できると教えられています。
この御本尊はすごい! どんな願いも、必ず叶えてくれる!
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ただし、願いを成就していくうえで心すべきことは、勇気を奮い起こして信心を貫き、確信を強くしていくことです。
また、大聖人は「叶ひ叶はぬは御信心により候べし」(同1262ページ)と仰せになり、願いを叶えていくためには強盛な信心こそ肝要となることを教えられています。拝読御文に示されているように、妙法への大確信に立って祈ることこそ大切なのです。

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東の方へ向かって、諸天善神に対して挨拶するときに、それは、我が心の中にある諸天善神が、大宇宙に浮かぶのです。そうして、第二座に御本尊に向かうときには諸天善神が全部うしろにいるのです。かりに私が、いま、諸天善神に挨拶すれば、夜であろうと昼であろうと諸天善神がことごく私のうしろに全部すわって、御本尊様に挨拶するのです。そうして、私の心の願いを叶えるために、その諸天善神がみんな働きにいくのです。そういうふうになっているのです。
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「心ざし」です。心からの願いは必ず、叶えられます。不可能だと自分が思えば、そう思う一念によって可能なものまで不可能になってしまう。必ずできると確信すれば、すでに現実に一歩近づいているのです。
大願に生きることによって、他のすべての願いが叶うのです。
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南無妙法蓮華経とは、生命を変化させる大元である。われわれが南無妙法蓮華経と唱えることは、その変化させる大元を、自分の生命の中に取り入れることになるのである。
したがって、自分の望む方向に物事が変化していって、願いが叶うのは、むしろ当然のことなのである。ただし、本当は、取り入れるのではなくて、「所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは、併ら護念の体を開くなり」とあるように、われわれの生命自体が、本来、南無妙法蓮華経の当体なのである。
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この悩みを解決したい、あの願いをかなえたいと、本気になって信心の実践に励めば、いままでその人の生命を弱く濁らせていた第六天の魔王が驚いて、低い迷いの境涯から離れさせまいと反発するのは当然です。急流を木でかけば波がおこり。眠れる獅子に手をつければ吠えるのは道理です。転重軽受の法門を実践し、高く広々とした境涯に前進する勇気ある信心を貫きたいものです。
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まして、信心の動機がいかなる世法的な願いであったとしても、御本尊を拝しながらの真剣な唱題であるならば、そこには必ず功徳が薫ってくることはまちがいない。
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御本尊を拝んでも、疑っているならば、いくら題目をあげても、疑っているほうが、願いとしてかなってしまう。
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御本尊を信じて朝晩きちんと拝み、念じ、訴えるならば、その一念によって、全宇宙というものが、自分の願いと同様に作用し、願いどおりになる。
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祈りとは真剣な戦いである。安閑と、ただ何となく祈っていては、願いごとは叶いません。
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御本尊様は無上の宝珠、如意宝珠であるから、あなた方の願いは、なにごとも、かなうことになっている。それをつかみ出せないのは、あなた方の信力がたりない、行力が足りないからなのです。
ところが、唱題に励んでいても、「こんな大きな願いは、叶いっこないだろう」などと、御本尊の力を疑っている人がよくおります。だめだと思いながら祈っているんですから。これでは願いが叶うわけがありません。 御本尊の偉大な功徳力からすれば、皆さんの願いなど、まだまだ、小さなものです。
漠然とした祈り、「なんとかなるだろう」といった安易な祈りでは、願いは成就しません。
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「御本尊様には、無限の仏力、法力が備わっています。その大功徳を引き出していくのが、大聖人の仰せ通りの信心と実践、つまり、信力、行力なんです。ところが、唱題に励んでいても、『こんなに大きな願いは、叶いっこないだろう』などと、御本尊の力を疑ってだめだと思いながら祈っているんですから、これでは願いが叶うわけがありません。皆さんだって、『どうせ、あなたに頼んでもむだでしょうが、力を貸してください』なんて言われたら、絶対に協力するものかと、患ってしまうでしょう。
ですから、御本尊への純粋にして強き信の一念が」また、感謝の祈りが、功徳を引き出していく要諦になるんです。御本尊の偉大な功徳力からすれば、皆さんの願いなど、まだまだ、小さなものです。
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朝晩の勤行の時に、まず真剣に願いをかけるのです。
自分が願いたい事を順番に紙に書いて、勤行のあとの題目の時に、一つずつ自分の生命に叩きこむように真剣に願うのです。
すると宇宙生命と自分の生命が融合して、素晴らしい境涯をどんどん作り出してくれるのです。だから願い事を、順番に書いたら、その立派な家の写真も切り取って、その上に自分や家族の写真を貼って、絶対にこういう境涯になろうと強く思って題目をあげるのです。「必ず叶います」それほど凄い御本尊様なのです。
自分の叶い方でどんな事でも叶わない事などないのです。願いが叶わないのは願っている事が希望荷なってしまっているからです。家の中でも家族の人達と決して喧嘩してはいけません。いろいろつまらない不満が宇宙全体に働きかけて、いつまでたっても一家和楽の幸せな家庭など望めないかです。
自分にはとても手がでないと思われるような願いであっても、我が一念から発する「信心」の力用次第によって、やがて厳然とかなえられていくことを、強く確信していただきたい。
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お金がどうしても必要な時は、御本尊に本気でお願いするんです。御本尊がその人の信心みて、必要なだけパッと出してくれはる。「ほんまは山ほど出してやりたいねんけど、お金で信心を弱めたらあかんやろ。せやから、ちょっとずつ出すさかい」と言うふうに。方法論に走るから困るんや。御本尊に任せれば、困ることなど何一つありません。
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「心ざし」です。心からの願いは必ず、叶えられます。不可能だと自分が思えば、そう思う一念によって可能なものまで不可能になってしまう。必ずできると確信すれば、すでに現実に一歩近づいているのです。
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「願いはすべて叶いました。功徳とは徹して戦った後についてくるんですね」
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御本尊様は衆生を幸せにすることが眼目であり、その人のプラスにならない願いというものは、あえて叶わせない。
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