池田先生ご指導

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人間の完成は、物心両面にわたるもので、生命の奥底の「九識心王真如の都」での完成が、最極の完成となる。 そこにたどり着くための仏道修行の完遂、広宣流布への不借の実践の完成、みずからの使命の満足の完結ーーそれらをやりとげることじたいが、人間としての最極の人格の完成となっていくことを忘れてはならない。

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正役職ではないからといって、遠慮し、活動に消極的になったり、組織から遠ざかるようなことがあっては、絶対にならないということです。組織から離れると、責任がなくなってしまう。広宣流布の責任を、どこまで担っているかが、信心のバロメーターです。

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御本尊は絶対であられる。ゆえに願いはかならず叶う。 しかしどこまで叶うかは信心の厚薄によることはとうぜんである。

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方便品で説く十如是のなかでも、相如是から始まっており、これこそもっとも大切なのだ、と仰せでなのである。

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妙法の大法則に則った信心は、御聖訓にあるごとく表面的にはどうあれ、生命の深層では宿命の転換を進め、功徳の因を確実に刻んでいるのである。

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心臓部は目に見えない。それでいて皆に力を送る。自分は脚光を浴びなくとも、友をもり立てて、目覚ましい躍進を成し遂げていく人は、最も気高き陰徳を積んでいるのである。

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要するに信心強盛の人は、自身の不幸を見つめながら、豊かな唱題によってすべてを堂々と乗り越えていくものだ。

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自分の全細胞を一新させるくらいの決意で祈るのです。

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人の言葉は絶対とはいえない、法のみが絶対である。 自己中心にして、人をだまそうと思えば、いくらでもだます言辞をはけるものだ。

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その御書に仰せのとおりに行動してこそ、初めて、教学を学んだことになる。 いわば「実践の教学」なくして、仏法の研鐙はない。

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