池田先生ご指導

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ゆえに妙法を持ち唱題しゆくとき、未開地のごとき生命は、大宇宙へとつながった一念によって、開拓され、養分を与えられていくのである。

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我が身が「永遠の仏」と一体である。仏とは、この我が生命のことである─この大確信があれば、断じて行き詰まりはありません。

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覚悟とは、あらゆる人生の局面にあって、あくまでみずからのカと意志で、難局を開き、希望の曙光をつかみとっていこうとする強き一念のことである。 この強き一念をもって、大御本尊に祈っていくところに、ほんとうの覚悟の姿があると思うのである。

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驚くべき事実は、三千年の昔に釈尊はすでに生命の本質、生命の実体を残りなく説き示しており、しかも七百年以前に日蓮大聖人は実践の方式を打ち立てられているのである。

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ともあれ信心が躍動しているときは、すべてに感謝の心がわき、すがすがしいものだ。ねたみは信心がない人、信心がなくなった場合に出てくるのである。

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「絶対に叶わないわけがない」と確信を奮い起こしていけばいく程その信力の強さに御本尊が応えてくださるのです。

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実践こそが尊いのである。 実践のない人は、どんなに仏法を知っているといっても「論語読みの論語知らず」である。 法盗人になってしまう場合もある。

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こうして、いったん目覚めた仏性は、必ず次第に力を得て成長し、ついには、魔の力を打ち破って、その人のを妙法に帰依させずにはおかないのである。

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生命は永遠にわたるのであり、生死を繰り返しつつ流転していく一人の永遠の旅である。 であるがゆえに、過去世からの罪業によってもたらされた不幸、苦悩を、今世における信心によって福運、幸福の人生へと転じていかなければならない。

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行き詰まりとは、より以上、広々と自分の境涯と福運を開いていける山の頂上を前にしたようなものだ。

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