
池田先生ご指導


人生も広宣流布も、勝利の源は題目である。気迫の祈りである。魔を打ち破るのも題目しかない。邪知の策謀を打ち破るのも題目である。

大御本尊様を信じまいらせて題目を唱うるとき、信は因となり、口唱は果となって、この信行倶時にして仏果をえ、われわれの生命のなかに、久遠無作三身如来の御生命がヒシヒシと流れつたわってくるのである。これ「生死一大事の血脈」といいうのである。

自分と違うところをもつ人を尊敬できる心の大きさが友情の土壌である。大きい心があれば、その分、すばらしい友情ができる。小さい心には、小さな、やせ細った孤独しか育たないであろう。

今生に法華経を弘通する行者自身に、過去の重罪が現出しきって、それを消滅し去ることが成仏なのである。

むしろ、立派そうに見せるために苦労することは、その人の力のないことを人にすすんで示すようなものである。

いつの時代、いかなる世界であれ、六破羅蜜を修め、観心の修行をこらしていった果てに到達するのは、南無妙法蓮華経という不思議の一法の悟りにほかならない。

生命力とは、未来を信じる力であり、そして希望を日々新たにし続ける力の異名ともいぇる。

妙法は、さらに掘り下げ、深く究明し、過去世の悪因といっても、所詮は、この現在の一念におさまる。その一念の悪因が悪果とあらわれることを明かす。
