小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 五 2018年3月30日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6335)

 組み体操の練習に励んでいた上野弘治が、「気分が悪い」と訴え、救急病院へ運ばれたのは、三月六日のことであった。いったん自宅に戻るが、意識障害が始まり、再び入院した。混濁する意識のなかで、「親友が六段円塔の一番上に立つんだ……」と繰り返した。
やがて意識不明になり、救命救急センターに転院することになった。菊田弘幸も駆けつけ、彼の体を抱え、ストレッチャーに乗せた。その時、上野は、小さな声だが、はっきりした口調で言った。
「不可能を可能にする!」
これが、上野の最後の言葉となった。
彼は、原発性くも膜下出血と診断され、十三日に呼吸停止となったが、人工呼吸で四日間、生き続け、「広宣流布記念の日」の三月十六日を迎えた。そして、翌十七日午後、安らかに息を引き取った。その枕元のハンガーには、彼が文化祭で着る予定であった青いユニホームが掛けられていた。
菊田は、友の霊前で誓った。
「弘治! 君の分も頑張るぞ!」
十八日、菊田は、上野の写真を胸に、練習会場の交野の創価女子学園(同年四月から関西創価学園に)体育館に向かった。これまで六段円塔を立てることはできなかったが、この日、初めて至難の円塔が完成したのだ。
また、この日、学園にいたメンバーだけでなく、別の場所で練習に励む、組み体操メンバー全員に、上野の死と彼の不屈の心意気、「不可能を可能にする!」との遺言ともいうべき言葉が伝えられた。組み体操四千人の若人の心が、一つになって燃え上がった。
菊田は、上野の最後の言葉を心に焼き付け、自身の力の限界に挑み、まさに不可能を可能にする見事な演技を成し遂げたのだ。
上野には、創価学会から、男子部本部長の名誉称号が贈られた。彼の母親は述懐する。
「あの子は、中学二年の時、紫斑病で生死の境をさまよいました。今、思えば、それ以来、御本尊様に寿命を延ばしていただいたと実感しています」