小説「新・人間革命」

〈信仰体験 ブラボーわが人生〉第48回 吾輩は蛍である 2018年7月13日 「師匠がいなかったら人間はだめです」

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「師匠がいなかったら人間はだめです」

 【札幌市西区】吾輩は蛍である。名前はまだない。何回も死んでは生を受け、この地に暮らしておる。吾輩は、「西区ホタルの会」の会長・山田吉雄氏(97)=創価支部、区副本部長=のことを主人と呼ぶ。蛍が暮らしやすい地域づくりに、一命を懸けてくれた恩があるのだ。その功績をお話しいたそう。ちなみに、吾輩が北国の蛍ということで、かの国民的ドラマを思う人もいよう。あれは人間である。くれぐれも口をすぼめて「蛍ぅー」という調子で読まぬよう、お願いする。

 ことに1960年(昭和35年)12月、吾輩がまだ幼虫で、水の中にて成長していた時分である。ゴミの収集をなりわいとする主人は、職場の人から信心の話をじっくり聞いた。帰りがけの背中に言われた。「きょうは普段と変わったことがあるぞ」
街灯のない深夜の家路である。玄関を開けると、体の弱い細君(妻のフミさん、92歳、婦人部員)が、まきをくべて待っていた。いつも夕刻には床に就くのに……。そのいじらしさに、主人は心を動かした。「誰がやらんでも、俺は信心するぞ」。人間というものは、全く見当がつかぬ。元来、細君の方が信心をしたがっていたのに、「そんなもの」と言い放っていたのは主人の方であるぞ。
馬でゴミを運んでいた時代である。馬に揺られながら勤行を練習する主人の熱心さには、感服せざるをえない。信心を励むのと、細君が元気になるのが比例したのだよ。

主人は、終戦を樺太(現在のサハリン)で迎えた。だがソ連と戦うことになった。部隊長は「日本の復興のために」と若者7人を帰国させた。その7人に主人はいたのだ。たまたま乗った引き揚げ船で稚内に着いたが、小樽に向かった船は砲撃された。
命を見つめた主人は、池田先生の言葉と出あい、人生を定めたのである。
“緑したたる地域をつくろう。地域に根を張ろう”
いとも簡単に町内会長を受けたのは良いが、問題は山積みであった。
かつて「陸の孤島」と呼ばれたこの地に、半世紀ほど前から住人が増えた。宅地開発や洗剤の普及で川や用水が汚れた。たまらず、吾輩の仲間はこの地を去った。
人はどんどん増え、子どもは校舎に入りきらない。校庭の粗末なプレハブ小屋で勉強していた。「これはいかん」。主人は町内会長に本腰を入れたのだ。
街灯のない砂利道、除雪車も入らない……さてさてどうしたものやら。吾輩は見守っておったが、主人は人と会って話を聞くことに徹しておった。
細君が体を案じる。「たまの日曜ぐらい、ゆっくりしたら」。主人は「日曜だって太陽は昇るんだ」。お願い、苦情、問い合わせ……まるで、よろず相談所である。難題にぶち当たっては唱題し、時には熱弁を振るい、一も二もなく町づくりに奔走した。
御書に「陰徳あれば陽報あり」(1178ページ)とあるのを、吾輩は知っている。主人は「陽報が欲しいわけではないけども」と、長靴の口をしばって雪道を歩く。
ある日、一通の手紙が届いた。越してきたばかりの婦人からであった。読めば、主人がバス停の雪かきを黙々としていた姿を見たとある。「この地を選んで良かった」との文字が並んでいた。主人は丁寧に封筒にしまい、御本尊に感謝した。
年年歳歳、主人は緑したたる町を目指した。木々の緑はもちろんのこと、住人の心に緑を植えようとしたのである。ねたみの陰口はあったようだ。その類いは、聞かぬようにしても、聞こえてくるから厄介である。孤独をこらえていたのであろう。「山田が町内会長やってる間は、俺も役員やるぞ」。仲間が言った何でもない一言に、主人は男泣きしたのだよ。

毎年秋には今でも、小学3年生に昔の歴史を話す。1時間の授業が終わっても、質問の長い列ができるほどだ。
この地の昔話を聞かせる時、引き合いに出すのが吾輩のことである。「昔はね、蛍が飛んでたんだよ」。みんなこぞって、吾輩を見たいと言う。およそ20年前、主人は腕をまくって、高校に走った。そして教員たちと、吾輩を呼び戻す作戦を練ったのである。
水質調査や人工飼育。むろん簡単ではない。皆に焦りの色が浮かんだ時、主人は「自然は自然がつくる。人間がつくるんじゃないよ」と、にこっと笑った。
人生の目的は実行にある。水辺の環境を整え、幼虫を放流し、愛情を注いでくれた。吾輩は、人間が自然との共存を目指そうとする心根に共感したのだ。仲間を呼び戻すまでに3年かかった。主人は蛍の群舞を見て、「しゃーっ!」と叫んだ。高校の先生も生徒を連れてきた。吾輩は闇を縫って、得意げに夏の水辺を舞ったのさ。

主人は80歳まで町内会長を務めた。今も町内の集いに呼ばれている。「世話になったな」「いや俺の方が世話になったんだ」。頭を下げる主人が「絶大なる陰の力」と褒めるのが、細君のことである。
細君は花を好む。どこぞの茂みから飛んできた種であろう。庭に植えたことのない花が咲く。「とってもきれいだよ」と話し掛ける細君を、うれしそうに主人は眺める。
眺めるといえば、吾輩の鑑賞会が毎年開かれる。蛍は気ままに明滅しているように見えるが、人間の頑張りに対する称賛の志である。蛍の世話の担い手は、吾輩ではなく、集まった皆の楽しむ顔を眺める……。どうもこの主人を見るに、人の喜びをわが喜びとする了見があるようだ。昔から自分を後回しにして生きてきた。8人きょうだいの長男で、弟の着物を買ったり、妹の嫁入り道具をそろえたり。それで満足なのである。

主人の家の後ろに西野川が流れるが、橋の名が住民の総意で決まった。「西野やまよし橋」。主人の名を冠したものだ。吉雄の「きち」を「よし」と読ませた。さらに隣接する橋は「光彩橋」。これも地元の創価学会の地区名を冠したものだ。
吾輩はこの町が好きである。ご近所も仲がよろし。緑したたる地域である。町づくりに尽力した主人の功績がたたえられ、6年前に藍綬褒章、おととしには旭日単光章が贈られた。
皆が祝ってくれた時、主人は池田先生のことを話したのだ。
「やっぱり師匠ですよ。人生に師匠がいなかったら、人間はだめです」
思うに、人間というものは、師匠に応えんと腹を決める行動の中で、己の秘めた力が湧き上がるのではないのか。換言すると、そのとてつもない力を引き上げる法を、吾輩は知っている。主人が昼夜を分かたず、口にしている言葉だからである。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。ありがたい、ありがたい。(天)