小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 四十一 2018年5月14日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6371)

 戦争を行うのは人間である。ならば、人間の力でなくせぬ戦争はない――山本伸一は、そう強く確信し、第二次訪中を果たした。周恩来総理は、彼との会見を強く希望し、入院中であるにもかかわらず、医師の制止を振り切って、迎えてくれた。
伸一は、中ソの和平を願う自分の心は、周総理の胸に、確かに届いたと感じた。
「世界の流れは人民の友好促進」(注)というのが、総理の信念であった。
一九七〇年代、時代は緊張緩和への様相を見せ始めたが、七九年(昭和五十四年)、親ソ政権支援のためにソ連軍がアフガニスタンに侵攻すると、西側諸国は激しく反発した。八〇年(同五十五年)のモスクワ・オリンピックを西側の多くの国々がボイコットした。
その報復として東側諸国は、八三年(同五十八年)のアメリカによるグレナダ侵攻を理由に、八四年(同五十九年)のロサンゼルス・オリンピックをボイコットした。時代の流れは逆戻りし、「新冷戦」と呼ばれる状況になっていったのである。
伸一は、東西対立を乗り越えるために、米ソ首脳らと対話を重ね、「スイスなど、よき地を選んで米ソ首脳らが会談を」など、具体的な提案を行ってきた。
この冷戦にピリオドを打つ、大きな役割を担ったのが、ソ連のゴルバチョフであった。八五年(同六十年)、党書記長に就任した彼は、グラスノスチ(情報公開)とペレストロイカを推進し、社会主義体制から自由化へと大きく舵を切った。
さらに、「新思考」を掲げ、西側諸国との関係改善に努め、軍縮を提案、推進していった。そして八五年十一月、六年半の長きにわたった閉塞の扉は開かれ、ジュネーブで米ソ首脳会談が再開されたのである。伸一は、このニュースに、時が来たことを感じた。かねてからの念願が、はからずも実現したのだ。
お互いが真剣に平和をめざすならば、あらゆる見解の違いを超えて合意は可能となる。大海に注ぐ川が一つに溶け合うように――。

 小説『新・人間革命』の引用文献
注 『周恩来選集』森下修一編訳、中国書店