小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 誓願 七十九 2018年6月28日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6409)

 「創価ルネサンス」の鐘は、高らかに鳴り響いた。一九九二年(平成四年)の元日、山本伸一は、学会別館で各部の代表と勤行・唱題したあと、皆を激励し、一年の戦いを開始した。
 五日の新春幹部会では、「あの人にも温かく、この人にも温かい言葉を。これが指導の第一歩である」と訴え、新出発を呼びかけた。
 この年、宗門を離脱する僧が相次いだ。日顕をはじめ宗門の在り方は、日蓮大聖人の仏法に違背するものであると、「諫暁の書」を送った僧たちもいた。
 宗門は、この年の八月、今度は、伸一を信徒除名処分にした。なんとかして、創価の師弟を分断しようとしたのであろう。しかし、もはや学会員は歯牙にもかけなかった。
 学会から離れた宗門は、信徒数が大幅に激減し、没落していくのである。
 宗門は、学会を破門したあと、学会員への御本尊下付も停止していた。そうしたなか、宗門を離脱した、栃木・淨圓寺の成田宣道住職から、同寺所蔵の日寛上人書写の御本尊を御形木御本尊として学会員に授与していただきたいとの申し出があった。
 九三年(同五年)九月、学会は、この申し出を、日蓮大聖人の御遺命のままに、広宣流布を進める唯一の仏意仏勅の団体として、「信心の血脈」を受け継ぐ和合僧団の資格において受け、今後、全世界の会員に授与していくことを、総務会・参議会・教学部最高会議・県長会議および責任役員会で決議した。
 一方、宗門は、九五年(同七年)、「耐震」を口実に大客殿の解体を発表、着手した。さらに、九八年(同十年)六月には、八百万信徒の真心の結晶ともいうべき正本堂の、破壊を強行したのだ。伸一が発願主となって建立寄進した、先師・日達法主の事績の建物を、日顕は、次々と破壊していったのである。
  
 伸一は、九二年(同四年)「創価ルネサンスの年」の一月末、アジア訪問へと旅立った。“東西冷戦が終結した今こそ、世界に平和の橋を!”と思うと、一瞬の猶予もなかった。