名字の言

〈名字の言〉 2018年3月1日

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「自分史」を書くことが静かなブームのようだ。書店には関連書籍が並び、ちまたでは本人に取材し、自分史を代筆してくれるサービスもある▼人生の集大成として残すというより、過去を改めて振り返り、自分という人間を、より深く知ることが狙いらしい。さらに、“あの時の挫折には意味があった”と自己肯定できる側面も。“山あり谷ありだったが負けなかった”と自信が湧き、新しい目標に挑戦するきっかけになる……となれば、人気の理由もうなずける▼ある地区の座談会では、その月が入会した月に当たる友が、信心を始めて今日までの“自分史”を語る企画を設けている。1年間で全同志が話すことになる▼先日の座談会で一人の婦人が言った。「私は入会以来、皆さんの笑顔に包まれて、本当に幸せいっぱいの人生を歩んできました」。実は、婦人は病で目が見えない。それでも心の鏡に映る同志の笑顔と共に、純粋な信心を貫いてきた。参加者は目を潤ませつつ、満面の笑みを輝かせた▼日蓮大聖人は、苦難に屈せず、信心根本に生きる弟子の奮闘を「未来までの物語として、これ以上のものはない」(御書1086ページ、通解)とたたえられた。学会、そして師と共に進む日々が、最高の「自分史」となる。