【御書本文】
妙法蓮華経と申すは蓮に譬えられて候、天上には摩訶曼陀羅華人間には桜の花此等はめでたき花なれども此れ等の花をば法華経の譬には仏取り給う事なし、一切の花の中に取分けて此の花を法華経に譬へさせ給う事は其の故候なり(上野尼御前御返事p1580 n1912)
【通解】
妙法蓮華経というのは、蓮に譬えられています。天上界では摩訶曼陀羅華、人間界では桜の花、これらはめでたい花ではあるけれども、これらの花は法華経の譬としては仏はとりあげられることはありません。
一切の花の中で、とりわけてこの蓮の花を法華経に譬えられたことには、理由があります。
【先生の指導から】
妙法蓮華経をなぜ蓮華という植物をもって譬えたか。それは、蓮華が花と果実とが同時であり、因果倶時をあらわしているからである、との仰せであります。いうなれば、一切経の功徳というものは、さきに善根をなせば後に仏に成ると説かれているが、これは低い経文の説き方である。法華経に説く仏法の神髄の哲理は、因果倶時であり、それをたもつこと自体、すでに仏の所作である、と述べられているのであります。