小説「新・人間革命」

〈小説「新・人間革命」〉 暁鐘 三十二 2017年10月7日

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 法悟空 内田健一郎 画 (6193)

 六月一日午前、山本伸一は宿舎のホテルでローマクラブのアウレリオ・ペッチェイ会長と会談した。会長は、前日にロンドンからローマの自宅に戻り、朝、ローマを発ち、自ら車を運転して、四時間がかりで訪ねて来たのである。七十二歳にして疲れも見せず、精力的に動く姿に、伸一は感嘆した。理想に向かい、信念をもって行動する人は若々しい。
二人の間では、対談集発刊の準備が進んでおり、この日も、指導者論などをテーマに語り合い、対談集の構成等の検討も行われた。
ペッチェイ会長との会談を終えた伸一は、青年たちの代表と、ダンテの家へ向かった。
家は石造りの四階建てで、博物館になっており、外壁には彼の胸像が飾られていた。
ダンテは、ヨーロッパ中世イタリアの最高の哲人・詩人であった。一二六五年、フィレンツェに生まれ、三十歳の時、祖国のために尽くそうと政治家になり、頭角を現していく。しかし、政争と嫉妬の渦に巻き込まれ、無実の罪で祖国を永久追放される。
彼の胸には、虚言、捏造、陰謀によって、正義が邪悪とされ、邪悪が正義とされる転倒を正さねばならぬとの、怒りが燃えていた。そして、『神曲』の執筆に着手し、キリスト教に基づく死後の世界を描き出していった。
そこでは、虚飾や偽りは、一切、通用せず、誰もが生前の行為によって厳たる報いを受ける。人気を博した政治家も、著名な学者も、勲功の将軍も、聖職者たちも、皆、冷徹に容赦なく裁かれ、地獄に落ちていく。
彼は死後の世界を描くことで、人は、いかに生きるべきかを突きつけたのである。
仏法は、三世を貫く生命の因果の理法である。この法に則り、日々、広宣流布という極善の道を行くわれらは、三世永遠に、崩れざる幸福境涯を確立できることは間違いない。
日蓮大聖人は、「い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり」(御書一五〇四ページ)と仰せである。使命に生き、勇み戦う歓喜の境涯は永遠であり、死して後もまた、われらの生命は歓喜に燃え輝く。