法悟空 内田健一郎 画 (6027)
山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。
横浜に到着したのは午後七時であり、既に夜の帳に包まれていた。神奈川文化会館の一室から海を眺めた。眼下に、係留・保存されている貨客船の氷川丸が見えた。竣工は一九三〇年(昭和五年)、学会創立の年である。
学会は、以来、「七つの鐘」を打ち鳴らし、今また、大航海を開始するのだ。
伸一は、ようやく一息つけた気がした。
側近の幹部が、「今朝の新聞に先生のお名前が出ておりました」と教えてくれた。
それは、「読売新聞」がアメリカのギャラップ世論調査所と提携して実施した日米両国の生活意識調査の結果で、日本国民が選んだ「最も尊敬する有名な日本人」の上位二十人の第六位に、伸一の名が挙がっていた。吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして昭和天皇に続いて山本伸一となっている。
「現存する民間人では第一位ですし、宗教界ではただ一人です」という。伸一は、この劇的な一日を振り返ると、不思議な気がした。さらに同志の大きな期待と懸命な応援のようにも感じた。
三週間前、故・周恩来の夫人である鄧穎超に、会長辞任の意向を伝えた時、彼女が「人民の支持がある限り、辞めてはいけません」と語っていたことが思い返された。“人びとの期待に報いよ! 信義に報いよ! 戦い続けよ!”との励ましであったにちがいない。
“いかなる立場になろうが、私は戦い続ける! いよいよわが本門の戦いが始まる!”
彼は、ここでも筆を執り、「共戦」と認めた。
そして、“弟子よ。われと共に起て!”と心で叫びながら、脇書に、こう記した。
「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」