法悟空 内田健一郎 画 (6397)
一九九一年(平成三年)の十一月八日のことであった。宗門から学会本部へ、「創価学会解散勧告書」なる文書が届いた。十一月の七日付となっており、差出人は、管長・阿部日顕、総監・藤本日潤である。宛先は、学会の名誉会長でSGI会長の山本伸一、学会の会長でSGI理事長の秋月英介、学会の理事長の森川一正であった。
そこには、僧と信徒の間には、師匠と弟子という筋目の上から厳然と差別があり、学会が法主や僧を師と仰がず、平等を主張することは、「僧俗師弟のあり方を破壊する邪見」だなどとして、創価学会並びに、すべてのSGI組織を解散するよう勧告してきたのである。
しかし、そもそも創価学会は、一九五二年(昭和二十七年)に、既に宗門とは別の宗教法人となっているのだ。広宣流布の使命を果たし抜かんとする第二代会長・戸田城聖の、先見の明によるものである。宗門は、法的にも解散を勧告できる立場ではなく、なんの権限もないのだ。
戸田は、「宗門は金を持てば、学会を切るぞ! その時のために、万全の備えをしておくから」と、鋭く見抜いていた。この英断によって正義の学会は厳然と守られたのだ。
学会員は、解散勧告書の内容に失笑した。
「法主に信徒は信伏随従しろとか、僧が信徒の師だとか、自分たちに都合のいいことばかり言っているが、大事なのは何をしてきたかだ」「だいたい、折伏をしたことも、個人指導に通い詰めて信心を奮い立たせたこともほとんどない、遊びほうけてばかりいる坊主が、どうやって、広布に生き抜いてきた学会員を指導するつもりなんだ!」
この八日、東京婦人部は、「ルネサンス大会」を開催した。寺の従業員であった婦人らが、僧と寺族の堕落した生活ぶりや、信心のかけらすらない傲慢な実態を告発。皆、“衣の権威の呪縛を断ち、いよいよ人間復興の時が来た!”と、決意を固め合った。
「人間のため」という、仏法の原点に還ろうとの機運が、一気に高まっていった。