本日の御書

本日の御書 退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、

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【御書本文】
退転なく修行して最後臨終の時を待って御覧ぜよ、妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならばあら面白や法界寂光土にして瑠璃を以つて地とし金の繩を以つて八の道を界へり、天より四種の花ふり虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき娯楽快楽し給うぞや、我れ等も其の数に列なりて遊戯し楽むべき事はや近づけり、信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず(松野殿御返事p1386 n1994)

【通解】
退転することなく仏道修行をして、最後の臨終の時を待ってごらんなさい。
妙覚の山に走り登って、四方をきっと見るならば、なんと素晴らしいことであろうか、
法界は寂光土で、瑠璃をもって地面とし、黄金の縄をもって八つの道を仕切っている。
天から四種類の花が降ってきて、空には音楽が聞こえ、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき、心から楽しんでおられる。
我らも、その数の中に連なって、遊戯し楽しむことができるのは、もう間近である。信心が弱くてはこのようなめでたい所へは決して行くことができないのである。

【先生の指導から】
信心を悔いなくやりきって亡くなれば、比類なき高き山を登り、頂上に立って、四方を見渡すような晴ればれとした境涯となる。
周囲は黄金に輝く。
自分も黄金に輝く。
空からは四種類の花が降り、音楽が聞こえ、常楽我浄の風にのって、自由に遊戯し、自在に楽しめる「大歓喜の死」となる─こう御本仏がお約束なのである。
さらに、たとえ亡くなっても、また自分が生まれたいところに自由に生まれることができる。妙法の「歓喜の世界」に生まれることができるのである。
仏法の生死観は、あまりにも深い。