【御書本文】
此の心の一法より国土世間も出来する事なり、一代聖教とは此の事を説きたるなり此れを八万四千の法蔵とは云うなり是れ皆悉く一人の身中の法門にて有るなり、然れば八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり(三世諸仏総勘文教相廃立p563 n713)
【通解】
この心という一法から国土の違いも出てくるのである。一代聖教(釈尊が一生の間に説いた聖なる教え)とはこのことを説いたのであり、これを八万四千の法蔵というのである。これは皆ことごとく釈尊一人の身中の法門である。したがって八万四千の法蔵は我が身一人の日記の文書なのである。
【先生の指導から】
自分を取り巻く現実の世界で日々、刻々と起こり、展開されていく出来事は、すべて自分自身の生命がつづっている「日記」ととらえることもできる。
宇宙より広大なわが内なる「心の世界」に、どのような”日記”を記していくか。三世永遠に続いていく、このわが生命を、どのような人生の”文字”でつづっていくか。喜びあるいは悲しみの色の文字となるか。幸福あるいは不幸のページとなるか。それは時代や社会がどうかで決まるものではない。すべて「自分自身」に帰着するのである。
青年部の諸君は、今は悩み多き時かもしれない。試練の人生の季節かもしれない。しかし、その苦闘の時代に、自分自身の偉大なる広布の日記をつづっていただきたい。永遠にして不朽の生命の日記を記していただきたいと強く念願する。