本日の御書

本日の御書 日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候(最蓮房御返事p1341)

スポンサーリンク

【御書本文】
日蓮末法の初の五百年に生を日域に受け如来の記文の如く三類の強敵を蒙り種種の災難に相値つて身命を惜まずして南無妙法蓮華経と唱え候は正師か邪師か能能御思惟之有る可く候(最蓮房御返事p1341)

【通解】
日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り、三類の強敵による迫害を受け、種々の災難にあって、身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師であるか邪師であるか、よくよくお考えいただきたい。

【先生の指導から】
それでは求めるべき「正義の師」とは、だれか?それは三類の強敵と戦い、身命を惜しまず、妙法を唱え広めていく人である。
つまり、法華経のとおりに「難」を受けているかどうか。それを大聖人は、最大の眼目とされた。そして、「自分こそ法華経を知り、法華経を修行している者である」と思いあがっている輩に対しては、「日蓮が受けたような難にあっていないではないか」と厳しく切り返し、責め返しておられる。