本日の御書

本日の御書 法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり(四条金吾殿御返事p1121)

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【御書本文】
法華経を一字一句も唱え又人にも語り申さんものは教主釈尊の御使なり、然れば日蓮賎身なれども教主釈尊の勅宣を頂戴して此の国に来れり、此れを一言もそしらん人人は罪を無間に開き一字一句も供養せん人は無数の仏を供養するにもすぎたりと見えたり(四条金吾殿御返事p1121)

【通解】
法華経を一字一句でも唱え、また人にも語っていく人は、教主釈尊の御使いである。そうであれば、日蓮は、賎しい身ではあるが、教主釈尊から勅令をいただいて、この国に生まれてきたのである。この日蓮を一言でも誹謗する人々は、無間地獄の因を積んでいるのであり、逆に、一字一句でも供養する人は、無数の仏を供養することにも過ぎる大福徳を積むのである。

【先生の指導から】
皆さんが語った分だけ、仏縁は広がる。正義は広がる。
声が力である。言葉が武器である。
そして、「なんとか仏縁にふれさせたい」「幸福の道を歩んでもらいたい」との慈悲の祈りがあるかぎり、私たちの言葉は必ず響いていく。すぐに結果は出なくとも、相手の心に深く浸透していくものだ。
ドイツの平和運動家が、劇作家ブレヒトの有名な言葉を借りて、こう述べている。
「もう一回言っておけばよかったと後で後悔しないように、何千回も言われ尽くしたようなことでももう一度言わねばならない」
自信に満ち満ちて、「希望の対話」「勇気の対話」「確信の対話」「友情の対話」「励ましの対話」を大いに広げていっていただきたい。