戸田先生ご指導

信心を捨てた女性の末路 打ち出の小づちを捨てる

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ひじょうに恐ろしいと思ったことが、つい十日ほど前にあったのです。今から21年も前に、三人の女性に常住御本尊様をいただかせた。
三人とも環境も異なれば、年齢も違う。しかし、生活は似たりよったりで、毎月入る金でそれこそかすかすの生活をしており、ひとりは商売をしており、他のひとりは勤めておった。その方たちは、御本尊をいただいた時は歓喜に燃えていた。
その後、三人のうちひとりだけが、常住御本尊様をお持ちして、どこかに行ってしまい、行き先が分からなくなっていた。わたくしはそのことが気になり、心を悩ませていた。ところがそのうち、とつぜん本部に訪ねてきた。面接担当者に「御本尊様を拝んでいることが、主人からやかましいといわれ、お返ししようと思っていた」というのである。「あなたは今、打ち出の小づちを捨てようとしている。御本尊様を拝みなさい。
退転して20年の間、歓喜が一日でもあったかどうか」と聞くと、その主人はみぞの中に首をつっこんで死んでしまい、いまはつらくて、つらくて仕方ないとのことである。
このとき、いっしょに信心した他のひとりは、現在一億という財産があるといわれている。また、もうひとりの人も、それぐらいの金は自由に使える状態にある。
(このように)二十年信心をつづけていった暁に、良かったと思う人と、みすぼらしい姿をつづける人がいよう。
その女の人は退転して、そのような貧乏になったみじめな姿を私の目の前に見せにきたのです。信心をやめれば貧乏になるし、また反対に信心したものは功徳で、一家は丈夫で、月一回ぐらいは温泉に遊びに行ったり、映画を見たりできるようになり、楽々とした信心になれる。それは二十年後に起る、ひとりひとりの問題なのです。
昭和29年4月11日・鎌田支部第四総会より