折伏は、難事中の難事だと大聖人もいわれている。生命力を強くしてあせらず、たわまず、やらなければならない仏道修行なのだ。二、三か月で落胆するようでは、生涯にわたる信仰者の態度とはいえない。
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折伏を行ずる人は、学会の宝である。どんな時代がきても、あくまでも折伏をしきってきた人、折伏の功労者をけっして見落とすことなく、その人たちを擁護し、大事にし、尊敬していかねばならない。
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御本尊を受けさせなければ、折伏したのではないように思っているものがいる。たとえ、御本尊を受けさせなくても仏様の尊さを賛嘆することが、折伏なのである。