勇気ある行為は、初めは笑われる場合がある。皆に、おかしく思われる場合がある。しかし、あとになって明確に答えがわかる。
詩人であったドイツのシラーがこう言った。「一人が立てる時に強き者は、真正の勇者なり。」と。
青春時代から、私が大事にしてきた言葉です。
反対に、付和雷同は、「悪」です。みんながこうしようと言うから、何となく、ついていく。みんながこれでいいんだという堕落の方向に行ってしまう。これがこわい。これが日本人の最大の欠点の一つでもある。
みんなが「戦争はいいんだ」と言うと、悪の方向であっても抵抗しない。一人、敢然と立ち上がって、「それは間違っている!」と叫ぶ勇気がない。周囲の空気に流され、表面的に格好のよいものに流されてしまう。しかし、こういう時に、断じて、「道」を踏みはずしてはいけない。
平和への思い、学ぶ姿勢、人間愛を断じて捨ててはいけない。それらを実行し、広げていこうというのが
「勇気」です。勇気は「自分自身」の心の中にある。その心の中から「自分自身」が出すのです。
「みんなと一緒であればいい」というのは、勇気ではなく、臆病だ。民主主義ではなく、ファシズムです。民主主義というのは、民衆一人一人が「自分が社会の主人公だ。自分に責任があるんだ」と自覚しなければいけない。そうではなく、「自分さえよければいい」という利己主義、「大勢の言うことに従っていればいい」と いう付和雷同。これが多すぎる。
「一人立つ」勇気をもってこそ、平和の方向へ、善の方向へもっていけるのです。
その「勇者」が団結し、連帯してこそ、社会が変わるのです。
まず、自分が勇気を出すことだ。そこから、すべては始まる。「勇気」とは「正義」と一体なのです。
「正しいことをやるんだ」「正しい社会をつくるのだ」「人間としての正しい道を行くのだ」と。
自分のために だけではなく、人のため、世のために、と いう、善の行動をする。そのための「宝の力」が勇気です。いちばん地味であるけれど、いちばん光りかがやく行為です。