苦悩に沈み、いかに生命力が弱まっている人であっても、また貧・瞋・癡・慢・疑の毒に奥深く犯されている人であっても、妙法という広大な海に入り、御本尊という強力な対境が照射する妙法の光に当たれば、生きいきと強く美しくよみがえることができる。
仏の生命が脈打ち流れている法華経の文字とは、法華経は真理が説かれているということです。一々の文字が仏である、法華経は正しく生命の法が説かれている、宇宙・生命の真実相が明かされている、ということです。
この法華経の骨髄たる五字七字の南無妙法蓮華経の御本尊は、御本尊のご生命が脈打っている当体であらせられ、宇宙を貫く一念三千の哲理の結晶です。
この御本尊の出現を、過去、いかに多くの賢聖が渇仰し恋慕してきたことか--仏法の哲理に暗いとはいえ、これをたんなる文字にしかすぎないと見ることほど残念なことはありません。
生命活動は音律をとおして、よりその全体像がありのままに表れる、といわれますが、耳で聞くということは、ものごとを、それだけ鮮烈に生命に焼きつけることになるといえる。